増田とその他!
その他2
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2026/03/14 ・ 1,540字・約4分

人生の長さは、選んだ回数で決まるのかもしれない

#選択#思い出#飲み会

先々週くらいに29歳になった。

ついに20代ラストかと思うと、ちょっとショックだった。

自分にとって20代はなぜか長く感じた。

よく「20代は一瞬だった」と聞くけれど、自分の感覚ではむしろ逆だった。
思っていたより、ずっと長かった気がする。

なんでだろうと考えていたとき、そういえば高校の3年間もやけに長く感じていたなと思った。

高校時代のことを思い出すと、まず浮かぶのはテスト前期間の放課後の時間だ。

一応名目上は勉強するために学校に残っていたはずなのに、気づけば友達と遊んでいた。

机を動かして即席の卓球台を作ってみたり、
くだらない面白動画を撮ってみたり。
誰もいない学校という非日常な空間で遊ぶのが好きだった。

夕方になって、窓の外が少しずつ暗くなっていく。
そんなのをぼんやり眺めながら、結局ほとんど勉強はしていなかった。

何を話していたのかは、もうほとんど覚えていない。
でも、あの時間がやけに長く感じていたことだけは覚えている。

20代の記憶も、ちょっと似ている。

仕事のことより、なぜか飲み会の記憶のほうが多い。

お酒を飲むようになってから、数えきれないくらい飲みに行った。
笑ったり、泣いたり、吐いたり。

終電を逃して歩いて帰った夜もあった。
途中でまだ開いている牛丼屋に入って、妙にうまく感じたり。

朝まで大騒ぎして、買ったばっかのアクセサリーをなくしたことが何回もある。
友達と決心してクラブに行ってみたものの、情けないくらい何もできずに帰った夜もあった。

次の日に後悔することもあったけど、
それでもまた飲みに行っていた。

こうして振り返ってみると、どちらの時間にも共通点がある気がする。

それは、自分で選んだ時間だったということだ。

テスト前に学校に残るのも、
飲みに行くのも、
誰かに決められたことではなかった。

一方で、小学生や中学生の頃を思い出すと、少し様子が違う。
もちろん自分の好きなゲームとか漫画を読んでいる時間も多かったけど、塾や習い事は親に通わされていたし、進学先も親が決めていた部分が多かった。
休みの日も、親の買い物に付き合って出かけることがよくあった。

当時はそれが普通だと思っていたけれど、
今思えば、自分で選んで動いていた時間はそれほど多くなかった気がする。

自分で何かを選ぶと、その分だけ嬉しさも後悔も増える。

うまくいけば嬉しいし、失敗すれば落ち込む。
誰かに決められていたときより、感情の振れ幅は大きくなる。

そして振り返ってみると、
そういう時間ほど不思議と記憶に残っている。

じゃあ、時間の長さって何で決まるんだろう。

自分で何かを選んだ回数。
そして、その選択でどれだけ感情が動いたか。

その積み重ねで、人生の体感時間って決まるんじゃないかと思う。

最近、「意思決定の回数を減らしたほうがいい」という話をよく聞く。

同じ服を着るとか、生活をルーティン化するとか。
人は一日にできる意思決定の量が決まっているから、余計な判断は減らしたほうがいいらしい。

確かに、それは合理的なんだと思う。

でも自分は、なんとなく逆のことを思っている。

できるだけ、自分で選ぶ回数を増やしたい。

その分、嬉しさも後悔も増えるだろうし、
きっと感情の振れ幅も大きくなる。

そして感情が動いた時間ほど、きっと長く感じる。

もちろん、こんなことを思うのはまだ若いからなのかもしれない。
歳を重ねれば、感情の振れ幅が少ない、安定した毎日のほうを大事にしたくなるのかもしれない。
でも少なくとも、今はそう思っている。

だってどうせだったら長く生きたいし。

仮に50歳で死んだとしても、
体感時間が80年くらいあったなら、
それは80年分の人生を生きたということになるし。

だから、これからもなるべく多くのことを選んでいきたい。
たぶん、ちょっとくだらない選択も含めて。

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