2026/03/18 ・ 790字・約2分
無意味だと思っていたことも、実は無意味じゃなかったりする
一緒に歩いている人が、横で何かに躓いて転けそうになった時、咄嗟に「大丈夫?」と声をかける。
よくあることだが、自分はこれにずっとモヤモヤしていた。
反射で言ってしまっただけで、その瞬間はまだ相手を心から心配しているというより、ただ口が勝手に動いただけだからだ。
でも、少し経って状況を理解すると、ちゃんと心配になる。だから、嘘を言っているわけではない。
こういう定型的なやり取りは「社会的スクリプト」、言葉が先に出て気持ちがあとから追いつく現象は「情動の遅延」と呼べるらしい。
そして「大丈夫?」のあとには、たとえ本当は大丈夫じゃないとしても、大抵「大丈夫」という返事が続く。
だとしたら、このやり取りは最初から最後まで自動化された反応が流れているだけで、そこに意味はあるんだろうか、とも思った。
その疑問をチャッピーに相談してみたら、いい答えが返ってきた。
これは「情報の交換」というより、「関係の確認」として機能しているのではないか、という話だ。
たしかにこのやり取りは、情報だけ見ればほとんど増分がない。
それでも、そこでは
「あなたの異変に気づいています」
「気にかけています」
「受け取りました」
「今は大ごとにしなくて大丈夫です」
といったメタメッセージが、一瞬で交わされている。
そう考えると、このやり取りは単なる自動反応の往復ではないのかもしれない。
見た目ほど空っぽではないのだと思う。
そういえば昔、会社で「50円玉と50円玉を交換して回る」という謎の行動をしたことがある。
交換したところで、お互いの手元の価値は何も変わらない。
でも、そこには確かなコミュニケーションが生まれた。
中身に変化はなくても、そのやり取りがあったこと自体は残るのだ。
無意味に見えても、まったくの無意味ではない。
ただ、自分にとっては立派なコミュニケーションだったけれど、相手には普通に「変なやつ」だと思われただけな気もする。

