2026/05/04 ・ 953字・約2.5分
街で暮らすということ
昨日、寝落ちしてしまって珍しく早起きしたので、近所を散歩してみた。
どうせならあまり行ったことのない方向へ。駅とは逆側に歩いてみる。
歩いたのは、新井薬師と沼袋の間あたりの松ヶ丘という地域。
いつもならオールで飲んで、電車かタクシーで帰ってきて、何も見えていない状態でしか通らない景色。
でも今日は、スッキリした身体で、音楽も聴かずに歩いてみたら、まるで別の街みたいに感じた。
例えば、早朝に道端で会話しているマダムたち。
普段なら「こんな朝からうるさいな、寝かしてくれよ…」と思っていたけど、散歩中にすれ違ったときに「おはようございます〜」と笑顔で話しているのを見て、なんだか微笑ましく見えた。
川沿いを歩いていると、年季の入った木造の家の窓をガラガラと開けて、しかめっ面で伸びをしているパジャマ姿のお爺さんがいた。
朝の空気を吸って、ゆっくり一日を始めている様子を見て、きっと自分が生まれる前からここに住んでいて、この街の変化をずっと見てきたんだろうな、と勝手に想像した。
それから、ほぼ毎日聞こえていた謎の「サッ、サッ、サッ」という音の正体も分かった。
近くに住んでいるお婆さんが、落ち葉を箒で掃除していたのだ。
よく考えてみると、街のゴミや落ち葉なんて放っておけば汚れる一方だし、本人にとっては朝の運動なのかもしれない。
でも、自分が毎日きれいな道を歩けているのは、名前も知らないこのお婆さんのおかげなんだと気づいた。
こういう人たちを見ていると、自分はここに「住んではいるけど、暮らしてはいない」のかもしれないと思った。
毎日この家で寝て、仕事をして、買い物に行く。
確かに定住はしているけど、この街と関わりながら生活しているわけではない。
6年以上も住んでいるのに、近所の人の顔も分からないし、家の前を掃除してくれているお婆さんの存在も、今日まで知らなかった。
早朝は車も少なくて、本当にこの街に住んでいる人たちしか外にいない。
談笑したり、空気を吸ってのんびりしたり、道をきれいにしたり。
今日見た人たちこそ、「この街で暮らしている人たち」なんだと思う。
自分は、この場所にずっといるわけではないだろうし、もしかしたら東京を離れるかもしれない。
それでも、この場所に住んでいる間くらいは、もう少しこの街での生活を楽しんでみようと思う。

